たしかにそうかも知れない。
肉体は年齢を重ね、成熟しそして老いてきているが、その肉体に入っている精神、心などと呼ぶのか、それは中学生の頃となんら変わっていないのかもしれない。
いやいや、明らかに大人の所作をしているし、思慮深くなったでしょ、と言われるかもしれないが、
「中学生の頃の精神」+「影響を受けた常識」+「残酷な楽観性」+「現在の年齢までの経験」=現在の自分
「こうあるべき(と思っている)」
「大人とはこういうものだ(と思っている))」
「酒を飲むと楽しい(と思っている)」
「お金があると幸せ(無いと困るが))」
他所より高価なもの、他所より高い位置にあるマンション、他所より高い社会的地位・・・
それが幸せであることなのだよ、と思い込んでいる。
快適すぎる生活。
合理的すぎる仕事。
快適で合理的すぎる人間関係。
社会という中で”うまく”生きていくために得たもの。
だけど、中身は中学生頃のまま。それを忘れてしまった。
本当は酒を飲んで酩酊しても面白くない。
ゴルフで球をひっぱたいても面白くない。木の枝を振り回して草をちょん切る方が楽しい。
ローンを組んでまでそこそこの家、そこそこの”SUV”車に乗り自分は大丈夫だと思う。しかしその対価は、逃げられなくなる労働、車が傷つかないように気を使いまくりで精神参る。誰もあんたの車に傷があるかどうかなんて見ていないよ。バカみたいな金額のローンを組んだからそこに価値を見出し大切に大切にしていてバカみたい。所詮ものだぞ。
これは自分が望んだことなのか?
「これが幸せというものだよ」「みんなそうしてる」
「いい年してまだそんなことしてるの? まだ〇〇していないの?}
安い一括で買える平屋を自分でちょこちょこリノベ、燃費の良いあまり大きくない一括で買える中古車のほうが気楽だ。
でかいTVを買い、NetFlixを契約し、
水鉄砲でびしょびしょになって遊びたい!
ラジコンカーを走らせたい!
かくれんぼしたい!
プールで適当に泳いだり、もぐったり、飛び込んだりしたい!